妙寺簡易裁判所 昭和42年(ろ)6号 判決 1968年3月12日
主文
被告人は無罪。
理由
一、本件公訴事実の要旨は「被告人は昭和四二年一月二九日施行の衆議院議員選挙に際し、和歌山県第一区より立候補した樋口徹の選挙運動者であるが、松本弘信と共謀の上、同候補者に投票を得しめる目的をもって、同月二七日、同選挙区の選挙人である伊都郡かつらぎ町中飯降六番地玉置新作ほか五名を戸々に訪問し、右候補者のための投票を依頼し、以て戸別訪問をしたものである。」というのである。
二、公職選挙法一三八条一項は「何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもって戸別訪問をすることができない。」と規定し、同法二三九条三号はこれに違反した場合は処罰する旨を規定している。
右のような選挙運動としての戸別訪問は、本来言論をもってする投票依頼等の説得活動を意味するものであるから、これを禁止することは、選挙という領域における言論の自由を制限することにほかならない。
三、我が日本国憲法下にあっては、その二一条に規定されている言論の自由が最も重要な基本的人権として尊重され、保障されるべきものであることは論をまたない。もちろん、これとても無制限の自由が認められているのではなく、合理的な制限を加える余地のあることは否定できないけれども、しかしながら言論の自由が民主々義社会において来たす役割の重要さからみて、言論の自由は単にそれから生ずる善悪の存在を理由に政策的にほしいままに制限することは許されず、言論の自由を制限しなければ、制限した場合に比して基本的人権の上により重大な害悪を生ずる危険がある場合で、しかもその危険の招来が不可避的であり(危険の生ずることが明白であり)、またその危険が緊急の切迫したものである(危険が現在する)という要件を満たす場合、即ち、明白かつ現在の危険の存在する場合に限ってその制限に合理的な理由があり、憲法二一条に違反しないものと解すべきであろう。そしてこの理は、言論の内容を制限する場合のみに止まらず、戸別訪問の禁止のように言論の形式を制限する場合も同様であることは、言論の自由の制限は通常その内容よりも形式によってなされるものであって、またその方がむしろ効果的であることからしても当然といえる。
四、ところで、言論はいうまでもなく選挙運動の最も重要な手段であり、議会制民主々義制度をとっている我が国にあっては選挙は国民が積極的に政治に参加するための最も重要かつ基本的な手段なのであるから、選挙はまさに言論の自由が最大限に保障されなければならない場であるということができる。そして、戸別訪問は選挙人の生活の場において個々の直接の対話の中で選挙人に対して判断の材料を提供し、説得活動をすることを本質とするものであるから、最も生活に密着した基礎的な選挙運動であり、しかも財力の多寡をとわず、すべての候補者選挙運動者に平等に与えられた他をもってかえることのできない選挙運動の手段なのであって数ある選挙運動の手段の中でもその自由が最も保障されなければならないものである。
五、戸別訪問を禁止する理由としてあげられるのは、戸別訪問が選挙人の居宅など一般公衆の目のとどかないところで行なわれるために買収や利害誘導、威迫などの不正行為の温床となり、選挙の自由公正の見地から好ましくないということである。(なお、右以外に選挙人のわずらわしさがあげられることがあるが、時期、時間、方法などについては当然公職選挙法や刑法などの定めた合理的制限に服するのであるから、特に戸別訪問自体を認めることによって選挙人のうける被害といえば、せいぜい説得などをうけることを好まない選挙人が自らの拒絶によって訪問者が退去するまでの僅かな時間応接に多少の迷惑をこうむるといった程度のものにすぎず、前述した選挙における言論の自由の重要さに比べて考えれば、とうていこれを制限する理由にはなりえないものである。)
買収や利害誘導、威迫などの不正行為はそれ自体選挙人の基本的人権である投票の自由などを侵害し、選挙の自由と公正を根底からくつがえすものであるから、ここにいう重大な害悪ということができよう。しかしながら、戸別訪問自体はこれら不正行為とは異って本来何らの実質的違法性を有するものではないし、またこれら不正行為と性質上の因果関係を有するものでもなく、ただ単にこれら不正行為が随伴するという関係にあるにすぎず、その随伴関係といっても必然的であるとか不可避的であるとかいうはおろが、多くの場合に存在するということすら経験則上明らかではないのであって、結局戸別訪問それ自体には前述の言論の自由を制限しうるために必要な危険の「明白性」の要件が欠けており、これを全面的に、即ち前記「明白性」の要件を補うことなく禁止することは許されないものというべきである。
六、以上述べてきたとおり、前述の明白かつ現在の危険の存在しない場合においても戸別訪問を禁止することは憲法二一条一項に違反して許されないものと解すべきであるが、公職選挙法一三八条一項の規定は、文理解釈上も、規定の成立改変の沿革(戸別訪問は大正一四年公布の衆議院議員選挙法において全面的に禁止され、昭和二五年公布の公職選挙法もわずかに候補者自身が親族や知己などを訪問することを例外として許したのみで原則として禁止の立場をうけつぎ、この例外規定もこれを理由とした脱法行為の横行などを理由に昭和二七年の改正で削除され、全面禁止のまま今日に至っている。)からいっても、明白かつ現在の危険の存在しない場合も含めて、何らの規定も付さずすべての戸別訪問を禁止しているものであることは明らかであるから、場合を分けて適用を異にする余地はなく、規定自体憲法二一条一項に違反し、無効といわなければならない。
七、よってその余について判断するまでもなく、本件は罪とならず、被告人は無罪であるから、刑事訴訟法三三六条により主文のとおり判決する。
(裁判官 安倍晴彦)